あいさつ

玉置山

いろいろ屋すずき 鈴木聖史さとしと申します。どんな輩か分からないと仕事も頼みずらいと思うので簡単な自己紹介をさせてもらいます。

北海道20年 東京20年 奈良20年?

1979年(昭和54)12月25日北海道十勝のわりと山の中で生まれ育ち、某高専をギリギリ卒業後、就職せずに上京。(なんか夢とかあったのかな?)

バイト、契約社員など、フラフラしながら某設備サブコンの下請け会社の作業員に落ち着く。(17年間)

20代後半くらいからダーツにはまり、飲み歩くようになる。(白痴時代)

30代中盤くらいからダーツ無しで飲み歩くようになり、周りの影響もあり社会の問題に目覚める。この頃にカミさんとも出会いお互い影響し合う。

カミさんを実家に連れて行った時に周辺を旅行、北海道の大自然の良さを再発見する。もともと動物好きではあったが、オオワシに頭上を掠められて野鳥好きに目覚める。

なんで奈良なん?

北海道出身なのに大自然の良さに気がついたのが七年前。その数年後にカミさんから「畑の近いところに移住したい。」と言われ快諾。スクラップ&ビルドを繰り返す仕事にも疑問を感じ始め、通勤の人混みにも辟易していたので移住先を模索。

最初は北陸も候補に挙がってはいたけど、冬場雪が積もりっぱなしだと畑が何もできないので除外、北海道も同様の理由で。いきなり九州とかも考えにくかったので、紀伊半島か伊豆半島という選択肢に。何か所かを視察という名の旅行で回るも、移住先という決め手に欠けて数年が過ぎたのちに転機が。

カミさんの畑友達から宇陀市を勧められる。その友達は『ファームハウス合』のクラウドファンディングのリターンで泊まって「宇陀は良いところだった」とのこと。宿主のアイリーンちゃんともコンタクトをとってくれて(移住が決まってないのに物件まで紹介してもらえるという)、視察に来たのが2019年3月。たまたま泊まった『奈の音』で移住先を探している旨を伝えると、歓迎され!(言葉にするって大事!)最終宿泊日の夜には地元の人たちとの飲み会まで参加させてもらえる事に。

我々にとって程よい田舎感、元々カミさんは歴史好きの奈良好きだったこともあり気持ちは直ぐに固まる。人の縁って大事だね!

左『奈の音』の前真司さん由美子さん夫妻 2019/3月
上 京地アイリーンさん 2019/3月

東京卒業

移住先は決まった!さあ引っ越そう!とならないのが現実問題。色々な課題をクリアして、家の売却まで決め退路を断って再び宇陀に降り立ったのが2020年3月初旬。新型コロナが流行の序盤で、これからどうなるのかという不安はあったけど、5月中に引き渡しのスケジュールで進んでいたので背に腹は代えられない。

物件も無事決まり、引越しの手配も終わった数週間後、恐れていた(移動の制限)緊急事態宣言!ほんとに引越しできるのか不安になったけど、引っ越し屋も動いていてあっさり。近隣の人も「こんな時期に東京からなんて迷惑!」なんてこともなく「わざわざ東京からご苦労様です。」というような暖かい反応で一安心。

東京が嫌いだったわけではなく、生き方を変えたかったんだ。東京は卒業したんだ。

東大寺の鹿

本厄の男

とにかく酒が好きなもんで、移住したら酒に関わる仕事がしたかった。そんな大宇陀、久保本家酒造さん、芳村酒造さんとあるんですが、やっぱりプロビーラー※として『奥大和ビール』で働きたい!移住前に『奥大和ビール TAP ROOM』に伺っており、榛原の駅前に『奥大和ビール TAP STUDIO』をオープンすることも知っていたので、代表の米田さんに仕事をくださいとアピール。5月下旬から仕上げ工事のボランティアで数回伺った後、6/11早朝。

※飲み始めてから最後までビールだけ飲み続けられる人への称号。

お店はビルの2階で、表通り側に細長い窓が3つ付いている。下3分の2が嵌め殺しで、上3分の1が内側に45度くらいしか開かないタイプ。網戸がついているけど外側からビス止めされていて、窓の掃除と網戸の張替をやるなら外からの方が断然楽なのだが、歩道が細く車道から梯子をかけないといけないので、車の少ない朝5時から集合してやることに。

4m弱の梯子をかけてまず網戸の取り外しから。インパクトで全部ビスを外して、インパクトから最後のビスを取ろうと左手の抑えが甘くなった瞬間網戸が外れてきて、それを落とすまいと掴んだときに後ろに重心が行ってしまい梯子づたいに転落!右足→腰→最後軽く頭と打って、米田さんの車で宇陀市立病院の救急窓口に搬送。

最初はちょっと休めば治まると思ってたくらいだけど、足のレントゲンを撮り終わって、腰のレントゲンを撮っているとき。当直の先生からの「すぐ帰れると思ってるかもしれないけど即入院レベルですからね!」という台詞、いまだに耳に残ってます。

前の日に大神神社にお参りしていたので、御守り買っておけば良かったなぁとか、お参りしていたから下半身不随とかにならなかったとか…

社会復帰まで

右踵粉砕骨折、第一腰椎圧迫骨折。全治2ヶ月、仕事が出来るようになるには3、4ヵ月という診断。右足は次の日に緊急手術で、第一腰椎はコルセットで抑えて自然治癒を待つという治療方針で、7/17に松葉杖で退院。何回かのリハビリを経て8/12に松葉杖卒業。厄介だったのは第一腰椎の方で、コルセット装着解除解禁が9/23(診断通り3ヶ月ちょっと、医者ってすごいね!)やっとスタートライン。

暴走的開業

コルセット時代から醸造見学は何回かしていて、本格的にバイトで入ったのが9/29から。シール貼り、梱包等の作業の他に『奥大和ビール TAP to BED』の改修工事もじきに始まりそちらの作業も。このときに現場作業自体は好きだったことに気がつく。

そして、米田さんから「現場の作業はこの金額で請けて下さい。」と言われてから、少し考えて開業を決意!極端な性格なのでバイトの掛け持ちとかはしたくない、でもビールの仕事だけでは足りない。じゃあ個人事業主で現場に行って、ビールの仕事も事業で請ければいいじゃないかという安直な結論。東京時代に踏み出せなかった憧れの個人事業主、雇われているという甘えとの決別。12/3桜井税務署に開業届けを提出という流れ。現場だけ行くわけじゃないので便宜上の『便利屋』で。

現場がないなら作ればいい

東京時代ならまだしも、横の繋がりが少な過ぎた、大きな誤算。業務委託の求人に活路を見出だすも、ゼネコン行けない、資格ないで不発。「現場がないなら作ればいい!」個人宅という名の現場。事実上『便利屋』として始動したわけでございます。

いろいろ屋ってなに?

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